大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和37年(ラ)332号 決定

抗告人 林春男

相手方 株式会社千葉銀行 外二名

主文

原決定を取消す。

本件競落はこれを許さない。

理由

一、抗告理由の要旨は、

(1)  本件競売の目的たる建物については、抗告人による昭和三十七年六月六日の競買申出に先だち、敷地の所有者より建物所有者に対し敷地賃借権の消滅を理由とする建物収去土地明渡請求訴訟が提起され、昭和三十五年九月二十二日に原告たる敷地所有者勝訴の第一審判決言渡があり、右判決はその後昭和三十七年十月二十三日上告棄却により確定し、実際に昭和三十八年六月中右建物は取毀収去されたものであるところ、抗告人は昭和三十七年六月六日の本件競買申出当時右のような第一審判決のあつたことを知らず、記録中の鑑定人の評価書の記載等により建物敷地につき借地権があり、建物は不動産としての価値あるものと誤信して競買申出をなしたものであるから、右競買申出は抗告人の要素の錯誤によるものとして無効である。

(2)  本件建物は本件抗告が当審に係属中右のとおり昭和三十八年六月取毀されて完全に滅失した。従つて競売の客体が存在しない理由で原決定は取消されるべきである。

(3)  本件建物の取毀滅失は、建物所有者が敷地につき賃借人としての義務を履行しなかつたため敷地所有者より土地賃貸借契約を解除され建物収去土地明渡請求訴訟を提起されて敗訴し、その判決が確定してこれに基づき強制執行を受けた結果によるものである。従つて本件は債務者の責に帰すべき事由に因り物が滅失して履行が不能となつた場合に該当し、その危険は債務者たる建物所有者が負担すべきである。よつて抗告人は民法第五百四十三条により本件抗告を以て競売による売買契約を解除する

というにある。

二、よつて検討するに、(1)  建物の競売手続においては建物敷地の使用権原の有無とは無関係に建物だけを競売するのであつて、敷地の使用権原は競売手続外において別途に処理されるべきものである。

建物敷地を使用する正権原は、或は最初から存在しないこともあり、或は当初存在していたが競落当時には既に消滅していることもあり、又或は競落当時にもなお存在していることもある。この最後の場合においては、競落人は、法定地上権の規定により、又は借地権の譲渡を許す旨の条項により借地権を敷地所有者に対抗できることもあるが、現時の実情では、それらはむしろ例外で、競落人は所有者との間に借地権譲受の承諾又は新たな敷地賃貸借契約の締結を求めるためあらためて交渉をなすのを通例とする。

競売手続はこれら建物敷地の使用権原に関する事項とは無関係に進められるのであつて、競落当時借地権が存在することを前提に行われるのでもなければ借地権がないことを前提に行われるのでもない。建物の最低競売価額もこれらの点とは無関係に定められるものであり、競売期日の公告もこれらの点についてはなんら触れるものではない。従つて競買申出人は競売手続外においてこれらの点を自己の責任と危険において調査の上自らの競買申出価額を定めるべきであり、その結果借地権がないのにあるものと誤信して多額の競買申出をしたとしても、それは競売手続において示されている事項以外のいわゆる縁由の錯誤に過ぎず、法律行為の要素の錯誤として競買申出を無効にするものではない。

競買申出が要素の錯誤により無効となる場合のあることは否定できないが(抗告理由書中に引用の昭和五年七月二十一日大審院判決参照)、それは例えば公告に記載された建物数棟の内主要建物が実際上存在せず僅少の付属建物だけが存在したに過ぎないのに公告記載の全部の建物が存在するものと誤信して全部の建物につき一括して競買の申出をなす等競売手続中に表示されている法律行為の要素に錯誤ある場合等であつて、その他の縁由の錯誤のようなものはたとえ競買申出人の主観においては重要な事項に関する錯誤であつても、そもそも競売手続上競買申出にこれを表示する途がないのであるから、錯誤の理由で競買を無効とするに由のないものである。鑑定人が裁判所に提出し記録に編綴されている評価書の鑑定理由の説明文中に言及してある個々の事項のようなものはそこに記載されているというだけでは当然に競売手続において法律行為の要素として表示されたことになるものではない。従つて抗告人の競買申出がその主張のような事由による要素の錯誤あるため無効であるとの抗告理由は採用できない。

(2)  ただ、本件においては、記録編綴の登記簿謄本(三二二丁以下)及び債権者の上申書(三二九丁)によれば、本件競売物件たる建物は原決定言渡後これに対する即時抗告が当審に係属中の昭和三十八年六月中取毀され滅失したことが認められる。そして抗告人はそれが当然に原決定取消の事由となる旨主張するので危険負担の原則とも関連してこの点を検討する。

一般に特定物の売買においては、売買成立後物が売主の責に帰することのできない事由により滅失したときはその滅失は買主の負担に帰し買主は代金支払の義務を免かれない。公の換価手続である不動産競売の場合は、私的売買成立の要件である申込と承諾に対応するものは競買の申出と競落の許可であり、もし競落許可決定の言渡により売買が成立したものとして危険負担の原則を適用するとすれば、競落許可決定言渡後の不可抗力による不動産の滅失は競落人の負担に帰し競落人は競落代金支払義務を免かれることを得ず不動産滅失だけを理由に競落許可決定を取消すことはこの義務を不当に免かれさせ関係人の権利を理由なく害することになるので許されないとの結論になりそうであるる。しかしながら、競落許可の効力が確定するのは競落許可決定確定の時であり、競落人は競落許可決定確定後に競落代金を支払うべく、それまでは不動産の引渡を受けることはできないものと規定され、なお競売法による不動産競売の場合は、所有権は競落代金支払の時に競落人に移転し、その以前は競落人は不動産の果実を取得することを得ず反面競落許可決定言渡後代金支払までの利息を支払うことも要しないとされている。このような制度の下では競売法による競落許可決定の言渡があつただけではまだ競落人は競落不動産につき私的売買成立後における買主の権利権限に対応する権利権限を取得できないし、執行機関との特約によりその点を予め調整しておくような途ももとより存しない。従つてこの場合に危険負担についてだけ競落人に対し一般私的売買における買主と同様の負担を課することは、実質上の根拠を欠くものであり、競売法による不動産競売の場合は、少くとも競落許可決定の確定までは売買成立を前提とする危険負担の規定の適用はなく、競落人は物の滅失につき危険を負担しないものと解するのが相当である。

一般に競落許可の要件である競売物件の存在は、競落許可決定に対し適法な即時抗告の申立があつたときは抗告審の決定時を標準として定めるのが原則であり、競売法による不動産競売の場合は危険負担の点から右の原則の適用を排除すべき余地もないこと前記の説示より明らかであるので、すでに競売目的物件が現存しない本件においては、競売法による不動産競売に基づく原競落許可決定は現在においてはもはやこれを維持することができないものというべきである。

よつて当審における右新たな事情に基き原決定を取消すべく、本件競落を許さないこととし、主文のとおり決定する。

(裁判官 仁分百合人 池田正亮 渡辺惺)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例